フランス料理博物館 プレジール・ドゥ・ラ・ターブル

Vol.56 2013年7月


フランス料理博物館 plaisir de la table

(プレジール・ドゥ・ラ・ターブル)は、

試行錯誤をくり返しながら、内容の充実に取り組んでおります。

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皆様御元気でお過ごしでしょうか。
今日は、”パリ そして パリ祭”
お話しをしましょう。

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パリ そして パリ祭

美しく飾られたシャンゼリゼ通りのパリ祭は、
フランスで7月14日の国民の休日 フェト ナショナル
(Fete Nationale)です。
1789年同日に発生しフランス革命の発端となった
バスチーユ監獄襲撃および、この事件の一周年を記念して
翌年1790年におこなわれた建国記念日
フェト ド ラ フェデラシオン
(Fete de la Federation)が
起源となっています。

なお、フランスでは単に カトルズ ジュイエ
(Quatorze Juillet)7月14日と呼ばれ、
パリ祭」は日本だけの呼び名です。
これは、映画『QUATORZE JUILLET』が邦題『巴里祭』として
公開されヒットしたためで、邦題を考案したのは、
この映画を輸入し配給した、東和商事川喜多長政社長たちです。
読み方について、今日では「パリさい」が一般的ですが、
川喜多氏は「名付けた者の気持ちとしてはパリまつりでした」と
語っています。
当時の観客の大半も「パリまつり」と呼んでいたと
云われています。
荻昌弘氏もまた「私の感覚では、これはどうあっても
パリまつり、だ」と述べています。

さて、現在の様なパリに改造されたのは、
当時のセーヌ県知事のジョルジュ・オスマンが取り組んだ
フランス最大の都市整備事業「オスマンのパリ大改造計画」に
よるものでした。

19世紀中頃のパリの街は、ヨーロッパの都市と同様
道路は雨を避けるために計画され、通りに張り出した
屋根からの排水が道の中央の排水溝に流れ落ちるように
なっていました。
大都市では敷石で舗装がなされていましたが、
パリでも豚が放し飼いにされている状態でした。
住民は日々に出る生ゴミや汚物を通りに投げ捨てるため、
道の窪みや溝にはそれらがたまり、河川には、動物の糞・
廃棄物・汚物などが流れ込み水が汚染されていました。
市民はそれらの川の水を飲んだり、浴びるなど生活環境・
都市衛生はきわめて劣悪
な状態でした。

オスマンは1853年から1870年まで17年にわたって
セーヌ県知事を務め、ナポレオン3世の構想に沿って
大規模な都市改造を企てました。
改造では非衛生的なパリに光と風を入れることを
主目的として幅員の広い大通りが設置されるとともに
道路網の整備が行われました。
また街区の内側に中庭を設けて緑化を行い開放的で
衛生的な街を整備しました。

エトワール凱旋門から放射状に並木が配された
ブルヴァールと呼ばれる広い12本の大通りを作り、
中世以来の複雑な路地を整理しました。
オスマンの計画によって破壊されたパリの路地裏面積は
実に7分の3に上ったといわれます。
このようにして交通網を整えたことで、
パリ市内の物流機能が大幅に改善されました。
また、二月革命で反政府勢力を助けた複雑な路地
オスマンの都市改造によって大方なくなったため、
反乱が起こりにくくなりました。
現在では観光名所として名高いノートルダム大聖堂
などがあるセーヌ川の中州に位置するシテ島は、
19世紀当時においては貧民層が集まっていましたが、
ここもオスマンによって改善され、パリの清潔な空間の
一部となりました。

また、上下水道を施設学校や病院などの公共施設などの
拡充を図りました。
上下水道の施設や、学校における教育に。
これにより、衛生面での大幅な改善がみられ、
当時流行していたコレラの発生をかなりの程度抑える
こととなりました。

パリ改造を通して市街地がシンメトリーで統一的な
都市景観になるよう、様々な手法が採られました。
例えば、道路幅員に応じて街路に面する建造物の
高さ
を定め、軒高が連続するようにしたほか、
屋根の形態や外壁の石材についても指定しました。
さらに当時名を馳せた建築家を登用してルーブル宮
オペラ座(1874年竣工)などの文化施設の建設も
進めました。
大通りに並ぶ街灯の数も増やされ、パリ万国博覧会
訪れた日本人もその風景をたたえて居りました。
こうして現在の花の都パリが誕生しました。


クラシックフランス料理の中に「パリー風のオムレツ
というのがあります。
それは、茸の中の王様と云われるトリュフ
小さい角切りにして、同じように切って炒めたジャガ芋と
一緒にして作ったオムレツです。
採れたてのトリュフは、なんとも云えない良い香りがして、
食べる時はまさに至福の時を過ごす感じだと云われます。
でも今日はトリュフはまたの機会として、
オムレツの上手な作り方をお話ししましょう。


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プレーンオムレツ

 材料 1人前
 ・卵(大) 2個
 ・塩
 ・胡椒
 ・バター 大匙1杯

 作り方

 1 小鉢に卵を割り入れ、軽く塩、胡椒をして
   かき混ぜます。

 2 フライパンにバターを大匙1杯(やや多い目です)
   入れ、鍋全体にバターを馴染ませます。

  ※フッ素樹脂加工(テフロン)のフライパンは、
   卵がくっつかずに上手に焼けます。

 3 火加減は強火です。バターが溶けてフライパンが
   熱くなって来たら、溶きほぐしておいた卵を流し入れ、
   左手でフライパンの柄を前後に動かし、
   右手に箸を持って卵を手早くかき混ぜます。

 4 フライパンに密着した部分の卵はすぐに焼けて
   固くなるので、全体が均一に固まってくる迄かき混ぜ、
   フライパンの柄を、鍋の底が45度位になるまで持ち上げ、
   箸か、お好焼きのハガシで卵を前のほうに寄せ、
   オムレツの形を作り、火を止めます。
   右逆手にフライパンの柄を持ち、左手にお皿を持って
   その上に卵を返すようにあけると、形をくずさずに
   上手に仕上げることが出来ます。 

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 *オムレツを焼く注意点
  左手でフライパンの柄を前後に動かし、右手に箸を
  持って卵を手早くかき混ぜます。
  この時に慌てず、卵が均一になるまで素早く
  かき混ぜる事です。
  左手の動きと、右手の動作は、炒めもの、ムニエルなどを
  作る時に努めて練習をすることです。
  私たち料理人は、鍋の柄を左手で持つ事が自然な動作
  なのですが、皆さんはきっとお鍋を右手で持ってお料理を
  されているので、少し慣れれば上手になります。

  ここまで慌てずに出来ればもうオムレツは出来たも同然です、
  「4」の行程はそれほど難しくありません。
  これで貴方は「オムレツのスペシャリスト」になれます。

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☆ お知らせ

 ムッシュ米津の家庭料理のページでは
 『ミニコロッケ&グリーンサラダ』
 作り方をご紹介しています。

 http://www.plaisirdelatable.jp/cooking/index.html

 サラダのあまり好きでない方は、
 温かいお料理との組み合わせはいかがですか。

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 フランス料理に役立つ「フランス料理の食材・機材」では、
 料理に使っていただきたい最高の食材と機材をリンクで
 ご紹介しております。

 http://www.plaisirdelatable.jp/food/index.html

 今月は『ザクロ』『スモモ』
 ご紹介しております。

こちらのコーナーも、ぜひご活用ください。

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